たまにはすこし感情的な話でもしましょうかということで恋とか愛とかいう話でもしていきます
Alcholidayの恋愛感なんてだあれも興味ないだろうというのは今この瞬間だけ忘れて書いていこうかなと思います
人生において付き合っていて自分からフッタことが一度もありません
そんなに経験豊富じゃないどころか普通の方よりも恋愛に関してはかなり疎いほうだと思いますがフルことがどうしてもできませんでした
彼氏彼女になると常に連絡を取り合い、休日などにはほとんど一緒にいたりしてややもすると家族以上にその関係というものは好き嫌いにかかわらず深まっていきます
すくなくともよく雑誌やテレビに出てくるような形だけの恋愛というものは今まで一度もしたことがありませんのでどうしても相手に恋や愛とかいうわけのわからないような感情以上に情そのものが芽生えてきてしまうのです
同情や共依存一歩手前みたいなことに私のほうがなってしまうことが多く、ゆえに一度も自分からフッタ経験というものがありません
なにか書いてて恥ずかしくなってきました(汗)赤裸々な話になってきましたが続けていきます
そんな私なのでよく優しいとかなんとか言われたりするのですがただ情がうつってしまいやすく自分を殺すのがうまいだけで人を幸せにする方法だとか笑わせたり面白おかしくすごしたりするというのはどうにも苦手でした
人柄は良いといわれることもありますが人付き合いというのはあまりうまいほうではないかもしれませんね
昔、大好きな人がいました
ありふれたどこにでもある関係のようにつたない友人の紹介で知り合った女性がいました
初めてしゃべった時の印象はなにかふわっとした人だなと思い、口を開くこともそんなに多くなく私もそんなに喋るほうでもないのですが私以上に静かでどうしたもんかと参りました
コミュニケーションの不全というある意味で致命的な難関を持ってしても私がその娘を好きになったのはその節目がちな大きな目とすこしやさぐれたような斜に構えた未完全な雰囲気がとてもいとおしく見えたからかもしれません
数回会ってから私はそのこと付き合うことになりました
私のほうから告白し彼女は小さくうなずいてその節目がちな目にすこし光がともったように輝いていたことが私にはなによりも嬉しかったのです
かなり若いころの話ですので
ああ、たぶん僕は世界で一番幸せだなんていう果てしなく馬鹿なことを考えていました
時が過ぎても彼女のその趣きに飽きることもなくむしろ彼女のその無口な性格やたたずまいがひどく私自身と重なるようにさえ見えてきてその情は増すばかりでした
たまに二人で友人と会ったりすると
「あんたたちいったいどっちが喋るの?」なんていう間抜けな質問が飛んできましたが私たちは喋ることに意味を見出すのではなく喋る人間が隣にいることに意味を見出せていたのかもしれません
そんなある意味で老夫婦みたいな恋愛をしていた私たちですが唯一ともいえる不満が私にはありました
それは彼女が私の名前を呼んでくれないのです
斜に構えている彼女はあるときには「君」だけでどこぞの上司みたいな呼び方で呼んできたりまたある時には「おまえ」なんて言われたりしていました
さすがに「おまえ」はすこし傷つきましたね
そんなある日私は彼女にどうして名前を呼んでくれないのかメールで聞いたことがありました
私「どうして名前で呼んでくれないの?」
彼女「なんか恥ずかしいし変じゃん」
恥ずかしいのは一歩譲ってわかるとしても変ではないと思った私はその後もメールなどで促してみたのですがやはり名前を読んでくれることはありませんでした
そのうちどうでもよくなってしまった私はいつか自然と呼んでくれるだろうともう何もいわなくなりました
~3ヶ月後~
その日はクリスマスでした
どこに行こうかと私たちは話してクリスマスにお台場に行くということになりました
クリスマスにお台場に行くなんて人でごった返していて今ではまず行かないと思いますが私達は良くも悪くも若かったのです
案の定といいますかお台場はクリスマスの当日などに行ったら行きの電車の中からすでにひどいひとだかりです
振り向くことも厭われるような人の波に巻き込まれながらも迷わないように普段はつないでいなかった彼女の手をつなげることが私には幸せでした
ふらふら歩いてヴィーナスフォートにさしかかるところで私の名前を呼ぶ声がします
理解するのに数秒かかり振り返ると東京の中でもいっそううるさい喧騒の中でもたしかに私の名前を呼ぶ声が聞こえました
彼女がよりいっそう節目がちになり恥ずかしそうになりながらも今にも消え入りそうな声で私の名前をよんでいたのです
私は・・・
本当に恥ずかしくなってきたので終わりましょう
George
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